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2020.09.09
武士が戦場に赴く際に、なくてはならないものだった「甲冑(かっちゅう)」。これは頭部を覆う「兜(かぶと)」と、胴体部分を覆う「鎧(よろい)」からなる防具です。
伊達政宗や武田信玄、上杉謙信など、戦国時代に活躍した武将の名前を聞いたとき、真っ先に思い浮かぶのはユニークなデザインの「兜」ではないでしょうか。時代と共に進化した甲冑は、やがて合戦の場において、身を守るだけではない大きな意味を持つようになりました。特に目を引く存在である兜は、名だたる戦国武将たちにとっての「シンボル」だったのです。
そしてこの風習は、現代でも「五月人形」という文化に形を変えて残っています。本記事では兜の魅力に迫るべく、部位ごとの名称や戦国武将たちが身につけた兜をご紹介。さらに端午の節句で兜を飾る意味について解説します。
戦国時代は完全なる実力主義。多くの武将たちにとって、合戦で功績をあげることは立身出世のための一番の早道でした。とはいえ、戦場には何千人から何万人もの軍勢が集まって一斉に戦います。いくら敵を倒しても、ありきたりの格好では人ごみに埋もれてしまって、なかなか高い評価は得られなかったことでしょう。
そこで武将たちは、自身を目立たせる工夫として「変わり兜」を身につけ始めました。他人がまねできない斬新な兜をかぶって活躍すれば、群衆の中にいてもどこの誰かが一目瞭然。「〇〇の兜をかぶったあいつが敵将の首をとった」といった目撃証言が広まれば、上司である主君の耳にも入り、出世への階段を上ることができたというわけです。
こうして、敵の攻撃から身を守る実用性はもちろんのこと、個人のアイデンティティを表す「トレードマーク」として、武将それぞれの美意識や信念、地位の高さなどを象徴する多種多様なデザインの兜が生まれました。
兜に装着するアタッチメントで、最も目立つ部分。持ち主の個性を表現すると同時に、神仏の加護を願う意味があります。とりつける位置で名称が異なり、兜の前頭部に立てるのは「前立(まえだて)」。戦場で敵味方の区別をするための「合印(あいじるし)」としても使われました。
兜の主要部で、ヘルメットのように頭部全体を覆っています。1枚の鉄板を打ち出したものや、数枚の鉄板をつなぎ合わせたもの、皮革製などバリエーションはさまざま。鉢そのものに装飾を施した兜は「変わり兜」と呼ばれました。
「首をとる」という言葉があるように、顔まわりは戦場で最も狙われやすい場所です。この吹返は兜の左右にあって、刀から顔を守るのが役目。また大きく張り出して目立つパーツであるため、彫金や印伝など、職人の細工の腕の見せどころでもありました。
顔面から首を守る面具。時代と共に儀礼的な意味が加わり、天狗や仁王、鬼などをモチーフにした「異形」の目ノ下頬当て(めのしたほおあて)が登場します。なかには「死に顔」を模して肉色漆を塗った目ノ下頬当てもありました。「面頰(めんぽう)」という単語が良く使われますが、これは「目ノ下頬当」の音便から生まれ、江戸時代に確立される単語です。
「風林火山」の旗印で知られる、甲斐国(現・山梨県)の大名。自軍兵士が使う武具を燃えるような赤のカラーで統一した「赤備え(あかぞなえ)」は、戦場において自軍の士気を上げ、敵軍を威嚇する効果があったといわれています。
信玄の兜も、赤色を効果的に配したもの。前立は赤鬼の顔から黄金色のツノが出たデザインで、兜鉢は真っ白の飾り毛で覆われています。この毛は「ヤク」というウシ科の動物の尾で、日本ではとれない大変貴重な素材でした。
天下統一を目指した、尾張国(現・愛知県)の大名。南蛮(ヨーロッパ)の文化を積極的に取り入れ、城の建設や街づくり、鉄砲部隊の編成などに生かしました。奇抜なファッションや振る舞いは「傾奇者(かぶきもの)」と呼ばれる前衛的なスタイルの代表例です。
そんな一般に空想される信長の甲冑は、西洋の胴鎧を日本式にリメイクしたもの。西洋風のシックなマントに合わせるかのように、兜は「桃形兜(ももなりかぶと)」と呼ばれる比較的シンプルなデザイン。朝日が昇るさまを表した前立には、立身出世への願いが込められています。
出羽国、陸奥国(現・東北地方)を制覇して一大勢力を築いた大名。幼い頃に病気で右目を失明したことから「独眼竜」と呼ばれました。粋でしゃれた格好をする人のことを「伊達」と表現するのは、この伊達政宗に由来しています。
政宗のスタイリッシュな兜はあまりにも有名です。すらりと伸びた三日月の前立は、見た目に美しいだけでなく、太刀をふるう際に邪魔にならないようにと左右非対称に作られています。月をモチーフにした立物は多いですが、これは最大級のスケールです。
古代中国に起源を持つ「端午の節句」は、日本では奈良時代から続く伝統行事です。もともとは季節の変わり目である5月の初めの午(うま)の日に、宮廷でヨモギやショウブなどの薬草を使った儀式を執り行い、厄除けを祈願していたのが始まり。この頃は女性を中心とした行事でした。
やがてこの風習が一般に広まり、子どもたちがショウブを叩き合う遊びなどへと変わっていきます。鎌倉時代には武家のあいだで「ショウブ」を「尚武」(しょうぶ/武道を重んじること)とかけて、男の子に兜や太刀などを贈るようになりました。
江戸時代になると、徳川幕府が端午の節句を重要な式日と定めて、将軍家に男の子が生まれた際にはとりわけ盛大に祝いました。これを見た庶民たちが、紙で作った兜や人形、武者絵などを自宅に飾るようになったのが、現在の五月人形のはじまりといわれています。
節句とは「季節のお供え物」を意味します。3月3日の桃の節句などと同様に、時節にあったお飾りをしつらえて特別な食べ物をお供えし、お下がりとしてその食べ物をいただくのが基本です。
端午の節句では、お飾りとして「五月人形」や「鯉のぼり」を、お供え物として「柏餅」や「ちまき」などを用意します。赤ちゃんが生まれて最初に迎える「初節句」は、特に盛大に祝いたいもの。家族や親しい人たちを招いて祝膳を囲み、男の子の明るい未来を願いましょう。
・よろい飾り
五月人形の主役は甲冑です。武器ではなく防具を飾るのは、災難から身を守るという「厄除け」の願いが込められているから。タイプとしては、兜をメインに飾るもの、兜と胴鎧がセットになったもの、日本人形をベースにした「武者人形」などの種類があります。最近の一番人気は「兜飾り」で、戦国武将の兜のデザインを使ったシリーズも出ています。
・弓矢と太刀
五月人形には付属品として、弓矢や太刀が両脇に置かれることが多いです。これは戦いの道具ではなく「魔除け」のための神聖な品。「弓」は破魔の力を持つ道具として、古来より邪気を払う儀式に使われてきました。反りが大きく刀身が短い「太刀」は、護身のお守りとして重宝された歴史があります。
・ショウブ(菖蒲)
邪気を払うとされる香りを持つショウブも重要なアイテム。薬草のため、血行促進などの実用的な効能もあります。飾るだけでもいいですが、ショウブを浮かべた湯に浸かると身が清められ、頭に巻くと賢くなるともいわれています。注意点として、美しい花をつけるアヤメ科のハナショウブではなく、サトイモ科のショウブを選ぶようにしましょう。
・飾りつけの時期
春分の日(3月20日ごろ)から4月下旬までのあいだの、大安や友引の日に飾るのが良いとされます。一般的には、春のお彼岸が明けてから出し始める方が多いようです。早ければ早いほど「先手必勝」で縁起が良いという説もあります。逆にギリギリになって出すのは「一夜飾り」といって、厳禁だとする地域も。
・設置する場所
位置や方角に決まりはないですが、できれば家の中で最も格式が高いとされる「床の間」に飾るのがベスト。マンションなどで床の間のないお宅の場合、家族が集まる場所に置きましょう。お子様が大きくなったら、子ども部屋に飾るのでもOK。また五月人形を劣化させないためには、直射日光やエアコンの風を避けて、湿気がなく涼しい場所であることも要チェックです。
・子どもが何歳になるまで飾るべきか
これも特に決まりはありません。「学校卒業まで」「成人するまで」「結婚まで」というように、お子様の人生の節目で区切るのが一般的のようです。お子様が強くたくましく成長していくさまを見守るのが五月人形の役目。ぜひ毎年飾ってあげてください。
・兄弟がいる場合、1人ずつ用意する? 代々受け継いでも大丈夫?
1人につき1体を新しく用意するのが望ましいです。なぜなら五月人形はお子様の「身代わり」となる存在だから。ご兄弟で五月人形を共有したり、お父様が使っていた五月人形を譲り受けたりするのは、あまり良くないことだといわれています。2体目以降はよりコンパクトなサイズを選ばれるご家庭が多いようです。
・保管の方法
収納の際には素手で触らず、白手袋などを着用しましょう。ハタキを使って丁寧にホコリを落とし、手の脂がついていたら柔らかい布でふきとります。箱の中ですれて傷がつかないよう、和紙や不織布などで包んでからしまうと良いです。防虫剤や乾燥剤なども一緒に入れて、湿度の低い場所で保管を。
・飾らなくなった五月人形の処分方法
持ち主に代わって災いを受け続けてくれた五月人形なので、最後は感謝してお別れします。そのままゴミとして捨てたり、誰かにあげたりするのは良くありません。お寺や神社、信用できる処分業者などに依頼して、人形供養に出しましょう。
当店では、中世から近世にかけて使用された本物の甲冑をメインに取り扱っています。長年のあいだ、甲冑を愛するお客様たちのお宅に伺っているうちに、その飾り方にひとつの「共通点」があると気がつきました。
ほとんどの方は、住宅事情もありますが壁ぎわなど家の端のほうに甲冑を飾っています。単純にそのデザインや細工を鑑賞するだけならば、部屋の真ん中に甲冑を飾って、博物館のように360度眺められるようにすればいいはず。でも、そういうことをなさる方はいないのです。
それはつまり、自分の居場所と甲冑のあいだに距離をとり、物品と「対峙する」ということ。対峙することによって、ある種の精神的な落ち着きを感じることができるのだと私は考えています。甲冑がそこにあることで生まれる空間は、特別なものです。
五月人形を飾るのは、こうした甲冑の魅力を身近に感じられる方法のひとつです。大きな甲冑を自宅に置くのはなかなか難しいですが、コンパクトな五月人形ならば飾りやすい。私たちが本来持っている「日本人としての心」を意識する、絶好の機会となることでしょう。
参考文献:
『戦国武将列伝-戦場を駆けた戦国武将たちの美学-』(新人物往来社)
『図説・戦国甲冑集』(学研プラス)
『ビジュアル合戦雑学入門』(大日本絵画)
『戦国武将 人物甲冑大図鑑』(金の星社)
甲冑 刀剣 刀装具 古美術品一般